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まこちゃんと初めて会ったのは、杏林大学病院の待合室でした。当時は、中学生だったまこちゃんより、同じ病気のお母様の方が症状が重く、学校から帰るとご飯の支度をしていることや、学校でのこと、高校への希望などいろいろな話をしてくれていました。しかし、高校受験の頃には入退院を繰り返すようになり、ベッドで懸命に勉強する姿にドクターやナースも応援していたと聞いていました。
私は、まこちゃんの担当医である佐藤教授の外来で、肺高血圧症の患者さんやご家族のお話を傾聴させていただいています。まこちゃんの傾聴も担当していましたが、高校合格後は受診曜日が変更になり、会うことはなくなっていました。
昨年11月のある日、患者会代表の重藤より連絡がありました。昨年の6月頃からまこちゃんの容態がどんどん悪化し、治療を尽くしてきたけれど、回復するには両肺の移植手術しかない。日本で登録の順番を待つのは時間が間に合わないので、渡米による移植手術を受けさせたい。救う会を立ち上げたいので命を助けるために役員を引き受けて欲しいと言われ、お役に立てるのなら、とお引き受けしました。
ここまで重藤が中心に準備を進めてまいりましたが、彼女もまこちゃんと同じ肺高血圧症の患者です。疲れから体調を崩すことが重なり、負担を減らす為に代表を引き受けることとなりました。
手術の決意の中でまこちゃんから「必ず元気になって今度は私がお母さんの看病をして車椅子を押すから。」という言葉があったと聞きます。また「後からの患者さんのお手伝いをしたい」とも聞いています。
私達は手術が成功し、まこちゃんが普通の高校生活を送れるようになることを心から願っております。そして後から続く方の心の支えになって欲しいと願っています。
世間には重症患者様、被災された方々が多くいらっしゃいます。その中で、一人だけのための募金をお願いするのは身勝手なお願いではございますが、どうかまこちゃんの命のために、皆様のご支援とご協力を賜りますようお願い申し上げます。
まこちゃんを救う会
共同代表 島田 浩子
共同代表に就任致しました、藤田幸秀です。
人の気持ち、感情は数限りなくありますね。その感情が複雑に重なり、絡まり合いどう形容して良いのかわからないほどに。私の気持ちは感情はそうあります。でも、ハッキリと言えることもあります。まこちゃんを、若い生命を救うために出来ることがある、と。
私はかつて、他の救う会に賛同・参画していました。その子は移植手術に耐え最後の瞬間まで生き抜いて、残された私たちへたくさんのモノを遺してくれました。遺してくれたモノ、一つは「想い」です。生命の尊さ、それに向き合うこと。自分にできる事を一歩踏み出して行う「想い」を!
何かやりたい!でも、自分にできることって何だろう?そう感じる方は多いと思います。まず、救う会の活動を見に来て下さい。参加して下さい。何ができるのか見えてくるはずです。そこで共に仲間として活動ができたら素敵ですね。
でも、嫌なこと、面倒なこと多いです。何をするにも批判され、罵倒され、寸暇を惜しみ、寝る時間さえも会務に充てても、仕事が遅い、ちゃんとやれ、とお叱りを受ける。それでも、街頭にて支援を訴えている時「応援してるよ!」「絶対に助かるから!」と激励を貰ったり、学校等で子どもたちが募金、寄付を募り支援をしてくれたりと、喜び嬉しいことにも出会います。そんな日々の連続ですが、やりがいはあります。だからこそ、仲間、として共に活動しませんか?そういった仲間と出会いたいです。
そんな私ですが、ラーメンが好きです。旅行が好きです。車で何百キロでもお出掛けしちゃいます。そんな人間です。好きなことには時間を使います。でも、今は会のために、まこちゃんのために使ってます。決して聖人なんかじゃないんです。皆さんと同じ、楽しいことに笑い、悲しい事に泣く、普通の人間です。
そんな私が共同代表の一人を務める会ですが、よろしくおねがい致します。
まこちゃんを救う会
共同代表 藤田 幸秀